興味深い記事がアップされていました。
昔太平洋戦争にてアメリカの艦載機群などによる攻撃を受けて沈んだ戦艦「大和」。
戦艦「武蔵」も含めて敵からはどんな戦艦だと思われていたか、その時の印象が面白かった。
大和型戦艦は国民にも知られず、港周辺の住民たちには箱口令も敷かれて誰も口外する人はいなかった。
呉港周辺の多くの国民は「大きな軍艦を建造しているらしい」と勘づいていた。
あの栗田提督、宮本砲術参謀でも主砲口径が46cmとは知らなかったとアメリカに供述しており、捕虜も事実とは異なる供述をしていたそうだ。
無線の暗号解読にしても戦艦名は知ることが出来ても46cm主砲までは確信できなかった。
アメリカ軍潜水艦「スケート」が「大和」を発見した時は、アルカトラズ島のようで巨大だったと報告しており、魚雷2本を命中させたことで、ロックウッド司令官が新鋭戦艦「大和」を損傷させたという報道があって初めて日本の新型戦艦は大和型と認識されるようになった。
レイテ沖海戦で航空写真が撮影されて、主砲は45.7cm砲を備えた高速戦艦に違いないという意見も上がっていた。
→国民へは極秘… 大和型は敵からどんな戦艦だと思われていた? 「とんでもなくデカい」「そんな主砲あるはずない」錯綜した情報/乗りものニュース
2024年2月11日、筑波山のふもと、茨城県筑西市にある展示施設「ユメノバ」がオープンしました。
その中には飛行機や自動車、オートバイ、SLや新幹線、クルーザー、ロケットなど様々な乗り物が収蔵されています。
まるで劇場版「1000年女王」に出ていた歴史博物館のようですね。
そこの大目玉の一つとして「零式艦上戦闘機(零戦)二一型の複座改造機」が置かれています。
つまり二人が乗れるように複座に改造された機体でした。
ビスマルク諸島のニューブリテン島ラバウルに設けた基地にて、戦局悪化による本国からの部品が届かなくなるので、基地内にあるもので改造をして複座の偵察機として生み出されたそうだ。
ニューブリテン島ランパート岬から約250mはなれた沖合に墜落しました。
裏返しの状態で沈んでいたのを引き上げて、オーストラリアでの復元作業、日本への里帰り後も数回の修復作業をした後の状態になっています。
2020年7月まで上野の科博本館で展示されていたが、機体の最終服を機に、新たに科博分館として開設される科博廣澤航空博物館への移転が決まり、2年遅れて4年ぶりの公開となる。
→現存唯一!? 激レア「2シーター零戦」ついに再公開 正式ではない “現地改造型” 一体どう誕生したのか/乗りものニュース
2月15日はアメリカ第7艦隊の司令官交代式が行われました。
この記事も同サイトに掲載されておりました。
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