宇宙戦艦ヤマト2199の第7章が、旧作とは違った形になってしまった。
今思い出せば、観に行ったときは「あれ?なぜこうしたのかな」と思った。

出渕さんはガミラスが好きだったから、ガミラス優先に見えたと思う。
その為、ガミラスをあまり壊したくなかったのもうなずける。

本編を見れば、本星ではデスラー総統府のみ壊されていたように見える。
他は何も壊れていないからだ。

若者の間でファンになった方の多くは、宇宙戦艦ヤマトの音楽だけでなくテンションの上がり下がり、メカ、ヤマトの思う心を自然と感じ取っていただろう。

第7章では、激しい戦闘もなくぶつかっただけ。
結局はガミラス民を救うための行動を優先しただろう。

映画というものは、最初とクライマックスと最後が肝心なところ。
最後が手抜きしたかに見えた設定になってしまった為、半分以上のファンは離れていった。
ファンは言ってた。
「宇宙戦艦ヤマト2199が一番好きとは言えない。ただそれだけ。」

子供にも分かりやすく感動を与えてくれるなら初作の「宇宙戦艦ヤマト」だね。
都合主義であっても、やはり感動がなけりゃ面白くないもの。

宇宙戦艦ヤマトのクライマックスでは、古代が艦長にガミラスへの波動砲を撃つ事を教えられる、ヤマトはボロボロになっても最後まで戦うということで、すべての努力が報われるイメージを映像にしている。

「諦めるな、やろうとしたら最後まで戦え!」

戦艦大和は海上の全角度からのアメリカ機の攻撃、海上付近では、水平面で海中全方位からの魚雷攻撃を受けながらも、必死に戦ってきた。
そのイメージが、空を飛んだ時全方位からの攻撃を受けた、ガミラス本星決戦での激しく戦うヤマトの姿と重なる。

帝都バレラスより本星へ落とすイメージを天井ミサイルとするって、設定がそもそもおかしいですね。
何らかのこだわりがあっただろう。

真上と真下・・。
ヤマトが飛びながら、上からの攻撃、下からの攻撃を受けながら戦う。

ある人は言った。
「あれ(初作)が戦艦大和の本来の戦う姿だよ。それを忘れるな。」

前に死んだ知り合いのおじさんも戦艦大和の乗組員だった事は、その事を話されていた時はびっくりしていたけど、すごい、会えてよかったと思っている。

コスモリバースは子供にはわかり難い設定となっていた事、波動砲口に蓋がついてしまった事で、子供の間でもヤマトが好きになれなかった方も結構いらっしゃるそうだ。
「出発した時の姿と変わって地球へ帰るって面白くないなあ。」
「カッコいい姿で地球へ帰って欲しかったのかい?」
「うん・・。」

宇宙戦艦ヤマトはアニメーションであり、少年少女の夢でもある。
だから現実性を帯びた作品にしたら、数十年先の時点で見直したら見向きもしないと思います。

思い込んた事を書いたことで、気に障ったらごめんなさいね。

本当は、旧作の映像を綺麗にして、設定はそのままの方がよかったですし、OVA版TV版はそれでいいとしても、劇場版では旧作の設定と同じの方がよかったかもしれない。
都合主義はあっても構わないですし、少しは割り切ってもいいかもしれない。

でも旧作と同じ設定にしてしまうとスポンサーもやり直しかと思えてしまいかねない。
あえて違う設定にしたのだろう。
つまり旧作に泥を塗らない、敬意を表す為にとスタッフたちは考えたかもしれませんね。

違う設定にしてももっと面白くストーリー構成を考えなかっただろうか。
メカ関係では没案を使用したと聞きましたがそれはやめてほしかった。作品の質を下げてしまうからだ。

最後までご覧になって頂きまして、まことにありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。

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