当時は多くの観客の涙を誘った「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」。
この作品は私も好きなんですね。

キャラを殺さないでほしいと願ったものの、古代と雪も死んでいく表現には衝撃を受けた。
時が流ればこの作品を見直せばそれでよかったと言う考えもあるように、この作品で終われば名作になったと言う事。

この作品の後から西崎義展プロデューサーの都合主義が始まったようなものになっていく。
それから次の作品ごとに大事なキャラを逝かせては涙を誘うシーンが多くなったり、感動、音楽の素晴らしさ、映像の素晴らしさを見せつけてくれたものだ。

「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」では西崎氏の思いが詰まった作品に仕上がっていましたが、製作途中で西崎氏と監督、総設定だった松本零士氏が大喧嘩をした経歴があった。

西崎氏は負けた悔しさと太平洋戦争で活躍した戦艦大和と言う日本の特攻を美学として表現するものの、松本氏は若者は死んではならない、生きて帰るべきと言う対称的な考えを持っていた。

西崎氏は松本氏の総設定やメカ設定のよさを理解していたので、「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」では自分でそうしてしまったが、TVシリーズだった「宇宙戦艦ヤマト2」ではあなた(松本氏)にお任せしようとおっしゃっており、松本氏中心のストーリー展開となりラストは違うものとなって行ったのである。

それがパラレルワールドを生んでしまったわけだ。

なぜ「宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち」を作ったのか。

松本氏中心だと作画点やストーリーなど問題点が多く製作能力の未熟さを見た西崎氏が続編を作るきっかけにもなった一つでもある。

今後ヤマト作品は「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」以上の作品でなければならない。
TV版でも綺麗に作らねばならない。

そこに西崎氏はこだわっていただろう。
プロデューサーならば言える立場でもあろう。

「宇宙戦艦ヤマト復活篇」まで続くが「宇宙戦艦ヤマト2」ではデスラーを生き返らせる設定もあったり、とうとう「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」のポスターを描いたと聞く安彦良和氏も「宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち」でもスターシャ、古代守と言う大事なキャラを亡くす設定に驚かれ、製作後降りたと言う。

キャラを死なせないようにしておけば多くのつながりが増えただろうに、特攻の美学は段々と消えて行く。

例えば、古代守が「宇宙戦艦ヤマト完結編」では艦長になり、最後の時点ではアナライザーに任せる案もよかったのではと思ったのだがアナライザーが主役ではおかしいんですね。
沖田艦長はすでに死んでいるので古代守が代わりにヤマトに残る案もよかっただそう。(本当は嫌だけど沖田艦長を生き返らせるおかしな点を解決出来るから。)

多くのキャラを生かせておけば、色々な案が沢山生まれただろう。
出さないキャラだってあっても構わない。

それでも宇宙戦艦ヤマトシリーズ作品が好きなのは映像と音楽の美しさにひかれるから。
川島和子さんのスキャットでも美しかった。

ストーリーはどうあれ、音楽を聴きたかったし、宇宙戦艦ヤマト元祖テーマをアレンジしたものが次々と出てくるからそれが出ると嬉しくてよく鑑賞に行ったものだ。
今となれば良くても悪くてもいい思い出です。

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