8月31日京都で「宇宙戦艦ヤマト2199第7章」を再乗艦(鑑賞)してきました。
最後の上映となるかも知れず、寂しい気持ちはあったものの余韻に浸れようと行ってた。
劇場の外面にもヤマト宣伝ポスターが並んで貼られていた事は何よりうれしい気持ちなのかも知れない。
再鑑賞してみたところ、やっぱり過去作品のオマージュがかなり多かったしつなぎ合わせって感じがする所も見受けられる。
それも面白いのは面白いのである。
冒頭はYAMATO2520のシーンを思わせるように第2バレラスからデスラー砲が発射され、惑星が破壊されてしまいます。
ヤマトがガミラス星に突入する時の艦橋内部のシーンは、宇宙戦艦ヤマト完結編の冒頭シーン、ガミラス総統府にぶつかるシーンは見た目は違うけど、宇宙戦艦ヤマト完結編でのラスト辺りのシーンを思い出してしまう。
最近あれとかこれとかおかしいとか聞かれてるが、細かく表現してもらわないと理解出来ない方は映画とかを見るのには向かないのではないかと思う。
イメージの演出、表現などで人々の心を捉えるものだと思うし、出す形でも受け止める形でも色々である。
例えば雪が第2バレラスにて宇宙放出された時、爆発に包まれなかったとか、古代が見つけるとかそんなシーンがあるが考えてみれば可能でしょう。
それは将来そんなシーンのような不可能を可能にする為に我々は技術を進化させているから。
アニメは無駄なものを細かく入れてしまうとストーリーの流れを壊しかねないからだ。
上映時間だって限りられているし過去にも細かく入れたヤマト以外の作品があったが、見る側も疲れてしまい全然パッとしなくなってしまった。
細かい所は見る側に想像をさせる上、脳にもいいのでストーリー上無駄な事は省いて正解だろう。
人によっては考え方も想像表現も色々なのでシンプルにまとめればOKだろう。
修理シーンだってワンシーンだけで十分である。
帰宅途中の亜空間での戦いでオルタのデータを使ってガミロイド達を無効化させる所で真田さんのヘア辺りがいつもより濃くなり、顔も少し変わってしまう。
新見さん達の顔がエヴァンゲリオン新世紀版シリーズでのアスカさんに似てきてしまって作画が崩れてるのがわかる。
どうやらこのあたりで、エヴァンゲリオン新劇場版のメインスタッフの誰かに作画の手伝いをお願いしたのだろう。
「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」の作画監督だった湖川さんも25話の一部を手伝った事は彼のブログにも書いてあった。
コスモリバースには色々な説もありますが、あえて汚染浄化+地球再生のシステムと捉える。
宇宙戦艦ヤマトは夏が一番似合うと思いますね。
宇宙を眺める時にはよい時期だから。
あ~楽しかった。
次はいつ映画館でヤマトに会えるかな。
入場特典としてもらえる「森雪」のポストカード、ステッカー。
欲しい方はやっぱり欲しいですよね。
思い出にしまっておきます。