5回空襲を生き延びた島根県出身の川村善之助さん、修理のために呉に停泊していた戦艦「大和」に知り合いだった乗組員のおかげで乗船許可を得たと言う。
階段は2~3mあり、3人横に並んでも登れたり。
装甲を叩いてみたら手がはじき返され、厚さを聞いたら30㎝あると。
大和の乗組員3,000人に長男が300人位載っており、家を継ぐ為退館するように言われたが皆拒否していた。
海軍兵学校を3月卒業した士官や少尉は日本が負けることが分かっていたから「戦後復興をやれ」と言う事で排除された。
原爆も見ており、青白い光線が真横に何キロも波打ちながら走ってブルブルと震えてパッと消えるのを3回見たという。(少しでも詳しい状況が聞けてよかったかな。)
FNNプライムオンライン
【追記】→戦後76年~戦争経験者の証言①~戦艦「大和」にも乗船…5回の空襲生き延びた“少年” 次の世代に託された言葉/Youtube


「戦艦大和 総司令長官 伊藤整一 海軍大将の墓苑整備事業及び顕彰事業」
このクラウドファンディングが始まっていました。
戦艦大和 第二艦隊総司令長官 伊藤整一海軍大将の墓前祭りを行うにあたり、周辺が狭くなってきているので多くの参加者を受け入れる安全安心な墓苑になるよう改修整備事業を行いたいとプロジェクトを立ち上げたのこと。
目標金額は\6,000,000円。
寄付は\3,000円から。
「戦艦大和 総司令長官 伊藤整一 海軍大将の墓苑整備事業及び顕彰事業」


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