興味深い記事がありました。
戦艦「大和」や海外の戦艦を見れば、主砲は前側だけでなく後ろ側にも配置されているのが一般的である。
昔は前部集中防御として主砲群を艦橋の前側に配置していた戦艦があった。
理由は主要防御区間の長さを4~5%短縮でき、機関部を後部に集約する事で推進軸を短く出来、機関重量を減らせるという事からでした。
イギリス海軍からは非防御区画が長いと問題を指摘していた。
戦艦「大和」でも竣工時は艦橋の左右に副砲を配置していたが、多くの他の戦艦の実戦経験から考慮して副砲を艦橋構造物の前後に配置していたり、高角砲などを左右に沢山配置してきた。
前部側に主砲を集中配置した戦艦は後部から接近したイギリス艦隊に応戦出来ず追撃されたため、後部に主砲を置くようになったわけですね。
よく考えれば戦艦は城と言うか海上要塞みたいなものですね。
日本でも根型重巡洋艦が主砲砲塔前部集中型をとっていたけど、主砲が軽く爆風も小さかったから問題はなかったようだ。
→乗り物ニュース
アメリカ海軍が保管している戦艦「大和」の見取り図って、今までの書籍に出ていたっけ?
今日5月3日から12月15日にかけて会樹夫自衛隊が「令和6年度インド太平洋方面派遣」(IPD24)を実施した。
「いずも」「かが」「はぐろ」、「のしろ」、「くにさき」など主力艦艇が派遣された。
空母「ひゅうが」と「いせ」が日本に残っているのは、「宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち」を意識しているんじゃないかと思ったわ。
現在鑑賞出来る戦艦「三笠」の来場者が1000万人を達成したの事、おめでとうございます。
三笠の艦首にある菊紋章、今でも綺麗だね!見とれちゃうよ。
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