宇宙戦艦ヤマト復活編の製作に関わったスタッフがブログにて西崎義展との会話が記されていました。
彼はどういうお方かお分かりになると思います。
音楽から入るって普通の映画界では逆でしょう。
彼は元々音楽プロデューサーだったから音楽から入るのが普通ですね。
まずコンセプトを作り、音楽ベース曲を作り、名セリフが生まれそうなシーンを作り、場面設定、そして脚本へと作られていく。
脚本が決まれば、いつもの通りと同じく反対の流れに行く。
まるで往復してるかのようでした。
宇宙戦艦ヤマトの各作品でも地球を出発し任務を果たした後は地球へと帰還する。
そんな流れをきちんと守っていました。(宇宙戦艦ヤマト完結編は爆発の為ラストはあれですが)
今は製作委員会式になったら時間が許されない、ネタも溢れているので難しくなっていきますね。
思い通りに作れても出資してくれるスポンサー関係者の意見に従わねばならない点が作品を悪くしてしまう場合もあるからです。
だから最近の映画は個性を失い面白くなくなってる作品が多いです。
宇宙戦艦ヤマト曲は世界中の音楽を融合して生まれた曲。
クラシックは頭脳を活性する役割を持ってるから、彼は奥義を探ろうとしていたのでしょう。
なぜクラシックは人の心になじむのか、なじむ部分を利用してヤマトに使おうとしていたのが見受けられます。
そうやっていつもレコーディングでは出来た曲を聞いては、色々変更したり追加したりしていたのでしょう。
ボラー連邦の曲って海外の曲がベースだとは誰でもわかると思いますね。
宇宙戦艦ヤマト復活編のキャラデザインで彼が国友やすゆきの漫画本を湖川さんに持っていった話はご存知でしょう。
あれと同じで宮川泰氏、羽田健太郎氏にも色々な音楽のテープとかで聞かせた事もあるでしょう。
例えばあんな曲ならどうかとね。
西﨑氏が生きていたら、「ヤマトと音楽」と言う書籍を出版して欲しかった気持ちはありました。
なぜこのような音楽を作ったのかがわかるしこれからの製作者には参考になっていたのでしょう。
彼がいなかったら宇宙戦艦ヤマトは生まれていなかったかもしれませんしアニメブームが再来せず、アニメーションはずっと子供の漫画のままだったしょうね。
宇宙戦艦ヤマト2199のオープニングが変わる可能性が生まれたのは未払いとかの過去の辛い思いの人々の怨念があって2199ヤマトは彼の思いのないヤマトにしようとした関係者たちの策略なのかもしれません。
若いうちに地獄のような生活を強いられた思い出を持っているなら今でも思い出したくない事もあってか曲を変えてしまえば忘れる事が出来ると言う事もあるのかもしれません。
ヤマトらしい曲を作ればそれで良いですがヤマトOP曲を超える曲が出来るだろうか。
西崎義展氏からは「出来るもんならやってみろ!国民の演奏会でよく支持された曲を超える事が出来るか!
作ってダメなら一回限りで元に戻せ。国民の頭には過去のOP曲が染みついてるから、忘れるには100年はかかるだろう」 と言ってきそうでした。