戦艦「大和」の記事がアップされていたので、読んで見たら興味深い内容になっていました。
知りたかった事をまとめた記事でした。
タイトルを読めば、戦艦「大和」の沈没原因は「自爆」だったと。

お盆の為1号分休むと言う事で記事を10ページにまとめる為には大型記事が必要だったが、それが戦艦「大和」に関する記事になっていた。
まだ大和ミュージアムが開館していない時期であり、書籍とか資料くらいしかなくて、生存者の証言をあちこち聞いて回ったと言う。

呉の古いビリヤード場にいた砲員兵だったOさんに聞けば、甲板が傾くようになっていて左舷にいた為、海水につかるようになり海へ泳ぐという形になった。
ここでコメントは終わっている。きっと海中へ沈んで死んでいく他人を見るのがつらかっただろう。大和が沈むのがつらかっただろうね。

第二艦隊の副官として乗っていたIさんに聞くと、第一艦橋は右半分を第二艦隊司令部が、左半分を大和司令部が使っていた。
Iさんの前に森下参謀長がいた。左側は茂木航海長、後ろに花田掌航海長がいて、この二人は足を羅針儀に縛り付けていたという。
最後に、沈没の原因について話されました。「あれは自爆だよ。46センチ砲の巨大な砲弾が傾いて倒れ、信管が触れて大爆発したんだ」と寂しそうでした。
「宇宙戦艦ヤマト」ファンの皆さんでも「宇宙戦艦ヤマト完結編」のシーンでヤマトが爆発をした時は寂しかった思いがあったんだろうと思う。


大和特攻作戦の立案責任者について。
特攻決定は昭和20年4月5日であり、沈没のわずか2日前だった。
最初は大和を佐世保に回航させて、米機動部隊を待ち伏せ攻撃することが内定していたが、米軍の動きが早く北九州が空襲を食らってしまった為、頭の回転の速い神重徳先任参謀の口から特攻の事が話されていた。

燃料は片道分しかなかったかについて。
帳簿上では3千トンしかなかったが、片道攻撃では問題があると反対意見を述べて、呉に居る参謀が帳簿外の油を掻き集めたら1万トン出てきたという。
つまり往復できる燃料があったという事になりますね。

大和の特攻・沈没を天皇が知っていたのかについて。
3月29日に軍令部総長・及川古志郎大将が最後の総攻撃を天皇に奏上した。
天皇から「航空部隊だけの総攻撃なるや」と御下問があったのに対して、大将がつい「艦艇も総攻撃に加わります」と言ってしまった為、大和を中心とすると海上特攻作戦に発展したのだという事は、連合艦隊の作戦参謀だった三上作夫元中佐が証言してくれました。
もし言っていなかったら日本の周辺で何かあって沈んだとしても、今の私たちが戦艦大和の姿を見ることが出来たのかもしれないですね。(引き上げたり、海底ドーム施設を作ったりして。)

沈没については、加藤俊一氏が松平侯に伝え、彼から受け取った木戸内相が陛下にお伝えしたのはなかろうかと思うと書かれていましたので、天皇の耳には入っていたことになります。

今まで色々な書籍とか資料もあったけど、これ位まとまった記事があればこれでいいと私は思います。
知りたかったポイントをまとめた納得行く記事でした。

デイリー新潮


それではこれにて、最後までご覧いただき まことにありがとうございました。
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